李澤藩の絵筆の下に溢れる故郷への感情

                                               ―― 《孔子廟》(水彩1986

                                                                                                      曹永洋   原作

                                                                                                             呉昭新 日本語訳

私は蘇孟竜医師に伴われて新竹を半日歩き回った事を永久に忘れられない、ことさら初めて李澤藩教授の原作《南寮》を見たときの事は忘れようにも忘れられない。そして再び李澤藩美術館にて李氏の原作《孔子廟》、《潜園》、《淡水》、《山麓霧深》、《客雅渓畔》、《外媽祖宮廟前》、《西門教堂附近》、《東門城》、《口琴橋》を見た時‧‧‧‧‧どの一枚の作品も皆故郷の情溢れる傑作其のものであり、人をしてしばし佇み、去るに忍びなかった。

日本の領台時代、台北師範学校において美術を教えた石川欽一郎は何人かの門生を育てた、李澤藩(19071989年)は当然その傑出せる弟子のひとりであった。李氏の子息李遠哲氏が1986年ノーベル賞化学賞の栄冠を得た時、彼は既に80歳の高齢であった。この絵画《孔子廟》はその年の作品である。私は友達のある一人が当時咄嗟に口走った一言を今でもはっきり覚えている:「これで李教授もその息子の栄冠によって、その画作の価値がぐっと上がるのじゃないかと。」どうしてこの友達はこんなにも桁外れなのか?彼はまさか李氏の絵画を見たことが無いのだろうか?若し彼が氏の画作(レプリカであろうとカード画であろうとかまわない)を見たことがあるならば、この様な言葉を云う筈が無い。70歳にして過労によって脳血栓を患い一時手足が不便なりしも晩年においてさらに依然これまでも精巧かつ確実なる作品を残した。正に上から見下ろした《孔子廟》の画作のごとく、青天白雲、いにしえの色香を偲ぶ建築、曲折しながら長く伸び行く壁、青々とした樹木、その下に集まり買い物をする人々、言葉をかわす村人たち‧‧‧‧‧台湾味十分なる故郷への感情をまざまざと現している、まるでかって幾たびもこれらの景物を彼がじっと見つめていたかのように、これこそ本当にこの土地に貼りついた芸術家が心のうちから湧き出でた愛情であり、けっして只優れた技法だけではかけるものではない。一生謙虚、誠実、そして見栄を好まない李教授は非常に恩師石川先生を敬重していたが、これほどまでに師匠と弟子の画風が違うとは?李教授は自分の作品でもって一人の芸術家としての地位を築き上げた、そして同門の名画家と比べるとき、私をして悟らされるところあり:文学、芸術、音楽を問わず全て尽きる所はその作品によって決められる、「自称五十年来そして以後百年内、中国人にして中国口語文の文章創作の三名以内の全部の地位を占めると大言壮語する狂人、去る事を知るべきや!」

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