蛙の実験

                                                                                         曹永洋        原作

呉昭新  日本語 訳

十九世紀も終わりに近いある年のことである。アメリカのコーネル大学で有名な実験がありました。この実験グループのメンバー達は事前充分且つ綿密な計画と準備をしていました。彼らは一匹の蛙をいきなり煮えたぎる湯の釜のなかに放り込んだのです。この一匹の機敏なる蛙は間一髪の生死の間際に、あっと言う間にとっさに全力を尽くして、釜のそとの床の上に跳び出し、無事に逃げ終えたのです。

半時間後、彼らは又同じ大きさの釜を使って、今度は釜の中に八分まで冷水を入れ、そして先ほど九死に一生から逃れたばかりの蛙を又釜の中に入れました。今度は、蛙は悠然と釜の水の中で泳ぎまわっていました。それから、実験グループのメンバーは、こっそりと釜の下に炭火を入れ、ゆっくり釜の中の水を熱くしていきました。蛙は、何も知らずにまだ悠然となまぬるい、しかし水温が知らぬうちにゆっくりとあがりつつある水のなかで泳ぎ回っていたのです、そして、蛙が釜の中の水温がもう我慢が出来なくなったと気づき、一身の力を込めて跳び出さなくてはならないと思ったその時は、もう遅かった、跳ぶにももう力はなく、只釜のなかで死んでゆくのみでした。

この実験は我に残酷無情の事実を教えてくれたのです。我が自分達が歩いてきた過去を顧みるとき、そうでは無かったのか?生活の重荷の重さに喘ぐ時、挫折、難儀に周りの出口通路を塞ぎ閉じ込められた時、人は往にして自分でも知らなかった程の力で以って、危険より脱出し、一本の活路を見出すものである。ところが、一旦功成り名遂げ、志を果たして意気揚として自分が誰であるかを忘れたとき、かえって思いもよらぬ些細な事で一敗地に塗れて、収拾がつかなくなってしまうのである。

確かに、危機重たる窮地は、我にとっては必ずしも幸いでない事ではない、しかし安逸、享楽、贅沢三昧、節度のない浪費に耽溺する生活もまた必ずしも警告に値する禍ではないとも言えきれない。人類が直面するすべての境遇は、時には向上、発展への挑戦でありうるが、しかし一歩踏み間違えれば、往にして、逃げられない罠にもなりかねない。

は短い人生の旅路で、我をして学びそして徹底的に悟ることが出来る機会が一体幾度あるのだろうか?又人間は一生に於いていつも数知れない赤信号に出会うが、しかし我はいつもその意味を軽しく無視してしまう、これでは、我は、この一匹のゆっくり温まってゆく湯の中で、泳いでいる蛙とどう違うのだろうか

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