最後の授業

                               曹永洋 原作

呉昭新  日語訳

当時大学受験を受けたとき、何も考えずに経済学を志願し合格入学した、そして二年の月日が過ぎた、微積分は不合格だったが、何とか追試験で無事通過した、しかし会計学は見事落第、もう少しの所で校門から追い出されるところだった。このとき私は初めて気づいた、若しこのままずるずるべったり過ごしていったならば只山の麓にとどまって居るだけで、もうそれ以上は登って行けなくなると。

その後、中国文学専攻に転学した。校門を出ると直ぐ義務兵役で野戦部隊に回され一年間小隊長を務め、退役後仕事を探している時初めて教師になることが私の唯一の道である事を知った。

自分の学生時代のことを顧みると、それ程ひどい悪戯っ子ではなかったが、しかし世間知らずの中学生時代、かって国文科の呉和先生をかんかんに怒らせたことがあった、又授業中歴史の先生の広東訛りを真似して鼻高々と得意になったこともあった。故に私が教壇に立って初めて白墨の粉を吸い込む生涯を経験したとき私は忽然思った:「神よ、私はこれから逃れるにも逃れられない天罰を受け始めますと……。」

あるとき一週一度の青空朝会(大講堂が未竣工の為)であの厳格な学校経営で名だたる邵夢蘭校長先生が全校の先生学生を前にして曰く:「教師になるのは元々罵倒されるのが当たり前だ。貴方が厳しければ、今学生は貴方を罵る;貴方が今手を緩めるならば、将来学生は貴方のお墓まで行って、貴方が教え子を誤まらせたと罵るであろう!」と。当時一番前列の椅子に座っていた私は、只ただ胸を痛めるのみ、だれぞ知るや只三度の飯にありつく為、私は一路教え続くること丸二十九年!

私は知っていた、人様の大事なお子達を誤まらせる様な教育をする時は奈落の底に落ち込まねばならぬと、そして今又邵校長のこの様な声高なきつい警告を聞いた、そのとき私は二十八歳;私は何とかして鎮静を装うため、隣に座っている翁先生に低い声でこう話した:「若しこの様に教えて、それで将来まだわが墓の上でしたい放題の事をする学生があるならば、私は幽霊になって彼らを捕まえてやる」と。

五十三歳のその年、私は終に上手く丹田から発声することを学びえず、とうとう「声かすれ」の症候が出始め、段々と頻度が増えて症状はますます悪くなった。一旦飽きが来ると教師と言う仕事は最早楽しい事ではなくなった、そして地獄のような毎日が続いた、天罰だった。目の前にあるのは只二つの道のみであった、その一つは急流勇退、そうでなければ無理を押し通すしかない、さすれば手術を受ける運命を歩ばねばならない、そして最後には「無声クラブ」の一員とならざるを得ない。幸いにして私は「退職年金」と言うリタイア制度に便乗できたので辞表を提出し教育界からの逃走兵となった。

最後の授業、私は突然学生たちに何を言うべきかを考えた、しかしこの場に於いて言葉が過ぎると、高ぶっていると思われかねない、そして一世一代の失敗ともなりかねないと心配した。若し教師と言う仕事が、一種の巧妙なる芸術ならば、「無声は有声」に勝るかもしれない、この時沈黙を守るのが上策なるべしと思った、況してや一年前私は既に後悔しないと決めていたし、心の中にある言いたいことは平日多かれ少なかれもう話していた。然し、心の修行がまだ未熟の我は、やはり寂しさにに耐え切れず、次の様な話をしてしまった:「皆さん、縁有って皆さんとこの一年間教師と生徒の間柄にありました、貴方たちが好む好まないかを問わず、今は総て既成の事実となってしまいました、以後何時の日か、又何処かで私たちが期せずして逢うこともありましよう、その時は私に貴方が私の一番最後に教えた組の学生であると言ってください。私は貴方たちがこの一年間を全く無駄にしたかどうかははっきり知りません、場合によっては何も獲ていないかも分かりません。誰も貴方たちの将来がどんなであるか予知できる人は居ません。わたくしは貴方たちが私をどう評価するかはあまり気にしていません、若し、この一年間のクラスに於いて私が話したどの話か、又は一つの真実な短い物語が、何時の日にか貴方たちが選択を余儀なくさせられることに出会う時、少しでも貴方たちの参考になることができうるならば、それで私はもう満足です。

若し人生が一場の競争ならば、その勝負の決定は最後の一周の終点にあります、たとえ九十、百歳まで生きられるとも、人生はやはり短し、しかしこの一場の競争は百メーターの短距離競争ではなく、寧ろマラソンに似ています、それ故桂冠を勝ち得るには体力と自信の他に最後まで頑張る気力を必要とします。中学二年の英語の教師黄後昆先生が我々に教えてくれた:『卒業』(Graduation)この語彙は又『開始』(Commecement)とも書き換えられます、本当に奇妙なことだ、一段階の学業を終えたとき、更に適切に言うならばなんと其れは次の段階の始まりだったのだ!老いるまで生き、老いるまで学ぶ、途中で停止してはなりません、いつか貴方は人生の自己教育が一番大事であることを発見するでしょう。下世話に曰く:『師は貴方を導び入れる、しかし修業は個人によりけりと。』貴方たちは学校を離れた後絶対に書物を捨ててはいけません、二ユートンのような不世出の天才でさえも、晩年において依然少しもうぬぼれはしませんでした、他人が彼の成就を褒めたたえるとき、彼はこう答えた、自分は浜辺で遊ぶどのひとりの童と変わりはない、知識の大海の中で、只運よく一つ二つきれいな貝殻を拾ったまでの事だ。」

その日の短い「さよなら講義」は更に幾ばくか離愁を深めた、まさか平日私がかってこの「最後の一組」に何らかの秘策でも教えたのだろうか、或いは幾分か私自身の自分善がりの錯覚なのか、この時教室内はしんと静まりかえって息の音一つだに聞こえなかった。

「おお!最後の授業……」私は心の中で、自分で教師生涯に最後のピリオドを打った。

 

(TMN) Since June 09, 2002

(Olddoc): Since Jan. 01.2008

(TMN): Since Jan. 01.2008

(台湾名画): Since Jan. 01.2008